2012年6月17日日曜日

Episode1-(0) Prologue.

2011年9月4日。私は、現在の道場に入門して初めての試合に臨みました。
その試合は、初心者が参加する試合で、一切口にはしませんでしたが、優勝するつもりでいました。大人は型だけで組手がありませんでした。型は得意なつもりでいました。

私が所属する道場の参加人数も少く、妙に大人が沢山いる道場なのだですが、その日は大人は私ともう一人SHIOさんだけで、あとは子供が4人。参加人数が多い道場は、大きな声援が飛んびました。見事なまでに「アウェイ」感がありました。そのせいというわけでは無いのですが、子供たちはことごとく、初戦か二回戦で敗退してしまいました。
そして大人の試合。
20数年ぶりの試合。かなり緊張していたし、試合といえばいつだって、緊張しているのですが、同じ道場の女の子に、「あとは私に任せておきなさい。」とか吹いていました。勝つ気満々。勝とうとしているから尚更緊張します。
これで本当に優勝していれば、ちょっと「カッコイイオジサン」になれるところでした。

型の試合は、予選は2人ずつ対戦し、優劣を競います。その場で演武する型を伝えられます。
私の相手は黄色帯(8、7級)。かなり若そうな人だった。主審は「平安二段」を告げました。
気合全開で、平安二段。そして、判定。当然勝ったと思っていました。

判定のとき、結果よりも先に歓声を感じました。引き分け。黄帯と茶帯が引き分けたから歓声が上がっていたのです。
引き分けの場合は、再度演じることになります。「平安初段」と告げられました。平安二段を全身全霊で演じたので、もはや余力は残していませんでした。歳は取りたく無いですが、結局は修行が足りないのでです。当然動揺もしていた事でしょう。
そして平安初段終了後、判定は、確か3対1だったか4対0だったかもはや見ていませんでした。ものすごい歓声が上がりました。副審の旗を見るまでも無い。負けを悟りました。

ただ、ここで言っておきたいのは、決して続けて疲れていたから負けたのではありません。相手が上手だったのです。私は常々、平安初段は一番難しいと思っています。もっと言えば協会の審査では出てきませんが、もっと初歩的な「太極初段」はもっと難しいかも知れません。平安初段をしっかりできるという事はしっかり鍛錬しているということです。私は鍛錬が足りない。途方も無いブランクを埋めるには、まだ至っていなかったのでしょう。

ただ、それは今になって言える事で、当日はただただショックでした。
午後は組手の試合で、大人の出場は無かったし、ウチの道場からは子供も含め誰もエントリしていませんでしたが、道場の子供達は見学のため残っていました。私は逃げるように、会場をあとにしました。
会場を出ると、突然の通り雨。
「頼むから早く帰してくれ」と言いながら、会場となっている小学校の、会場とは別な建物のひさしの下に立ち尽くしました。
雨が少し弱まったので、折りたたみ傘を広げて、歩き始めました。
途中、昼食を買いに行ったウチの道場の先生と子供たちに道路を挟んで出くわしました。とても気まずい。

精一杯の笑顔で、
「山に籠ってきます」
とか意味不明の事を言って、手を振りました。

それからバスで、横浜へ。横浜に着くとまるで何事も無かったように晴れていました。
横須賀線のホームの下にあるKIOSKで、酒を買って、ホームで飲みました。確かリザーブウォータだったと記憶します。「かっこいいオジサン」になるはずの人は、タダの「ダメな人」になっていましたた。

今思えばここが一つの転機だったのかも知れません。

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