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2013年10月4日金曜日

Episode1-13(Final) Black Belt.


審査の結果....今日の自分は何点?と言われれば、今の自分の実力や状況、性格など色々ひっくるめれば、100点だと思いました。あくまでも、この瞬間に私が出来る範囲としてです。他の人と比べていません。絶対的な値です。今できることは、すべてやったという感じでした。

今回の審査。まるで普段の稽古のようにダメ出しされたりしました。
緊張の一瞬です。
自分でも明確な理由は良くわからないのですが、なぜか、きっと合格していると思いました。私は元々そんな楽観的な人間ではありません。ウチの道場にはポジティブな仲間がいます。例えば試合まであと一ヶ月のとき、その方は「一ヶ月ある」と言います。私は「一ヶ月しか無い」と言うタイプです。どっちが正しいか?。そりゃポジティブに考えるのが正しいに決まっています。心配しようが、気軽に過ごそうが、時間は公平に速度を変えずに流れます。だったら、余計なことを考えない方が良いに決まっています。

そんなふうにネガティブな私が、合格を信じていたのは不思議でもあります。
多分ダメ出しのせいだとは思います。「落とす人にダメ出ししないだろう」とか考えていたのかも知れません。この3ヶ月後ぐらいに、「実はそうでも無かった」という事を知るのですが。

審査発表では、合格者の名前が呼ばれます。なかなか名前を呼んでもらえません。

合格者の発表。合格するに決っているという根拠の薄い思い込みのため、そんなに緊張していない。

かなり後の方で、果たして呼ばれました。念願の黒帯です。

高校生の頃、「正式な黒帯」になれなかった話はしました。そしてここまで、「オッサン」としてはかなり無理をしてきたつもりでした。感動で泣いても良さそうな場面です。でも不思議と冷静なのです。
思い起こせば、いつだってそうでした。受験で合格したとき。大人になってあまり容易には取れないIT関連の資格を取った時、成人式、結婚式、昇給、昇進....全てにおいて、求めているときに思うほどの感動が無い。いちいち、思い描き過ぎなのかも知れません。本当に不思議です。ある意味「つまらない男」なのかも知れません。

帰りは、師範の車に同乗して帰りました。一緒に広報として行って下さったドンが、メールで道場の仲間に連絡を入れたため、祝福のメールがジャンジャン届きました。なかなか生きていると、人に祝福してもらう機会なんて滅多あるものでは無いです。ここで少し嬉しさが込み上げて来ました。

家の者に「帰るメール」をした際に、結果を書かずに送りました。家の者は特に空手をしている私には興味が無いようなので、あえて書かなかったのですが、そうしたら、結果を聞いてきました。少しは気にしていたのか、とても気にしていたのか、ここが分かりにくいから、一般的に男女間には色々余計な摩擦が起こるのかなぁ~とか考えてしまいます。


昇級、昇段、決まり次第、帯を渡すのが習わしです。ウチの道場のものか、一般的なルールかは知りません。多分一般的にそういうものなのでしょう。
私の帯は、大手の道衣メーカに頼んだ関係で、混み合っていて、間に合いませんでした。次の火曜日に稽古に行くと、師範がご自身の予備の黒帯を貸して下さいました。かなり年季が入っていて、思わず拝みたくなる、恐れ多い感じの帯を一日だけ締めて稽古しました。

そして、その次の稽古だったと思います。帯が届き、授与されました。

硬くて、結びにくくて、ちょっと動くと解けてしまいます。
刺繍の色は、希望を聞いてもらえるらしいのですが、取得する前に言うのもどうかと遠慮してしまったのと、急だった事もあり、自動的に選ばれてオレンジです。師範の好みの模様です。
高校生のときは赤だったし、師範の普段使いの帯は赤なので、同じが良いかと思っていましたが、よく考えたら、高校生の頃はオレンジが良いと思っていたし、実は私自身、刺繍の色にそんなにこだわりは無いような気もします。
ちなみに、最近は色々な色の刺繍があります。白とか白銀とかが今どきは少し人気みたいです。青とかピンクもあるのですが、あまり見たことがありません。

黒帯の意味は、「何色にも染まらない」という意味だそうです。ウェディングドレスとは逆の意味ですね。
締めると、気が引き締まるような気分でした。この頃、師範がブログに、私の昇段を受けての事だと思いますが、「黒帯の意味」について触れておられました。「何色にも染まらない」の他に、「初段でも十段でも黒帯」というような意味の事が書いてあったような気がします。特に協会では、帯に装飾を入れたりはしません(※)。文字通り、見た目では、初段でも三段でもわからないのです。
一つの大きな境界を越えてしまったわけです。

他流派か団体によっては、段位に応じて、白いラインのようなものが増えてくところがあったような気がします。

道場ではしばらく、仲間から、ビックリするくらい祝福を受けました。
でも浮かれている場合ではありません。


冒険モノのドラマにありそうなパターンですが、私が「ゴール」だとか思っていたこの瞬間は、実は「スタート」であり、新たなる試練の幕開けだったのかも知れません。


To be continue.....



~あとがき(Afterword)~

この記事を書くために、過去の色々な記録を引っ張りだしました。
特に手書きの手帳は有効な資料だったのですが、このお話の1-(6)以降が、「昇段審査と同じ年の手帳に書いてある」という事実に、驚いてしまいます。入門してから1年と3ヶ月間のお話なのです。
黒帯になったら、少し速度を落として、のんびりして行こうとか企てていたのですが、結局この調子か、これ以上に突き進む事になります。オヤジであるがゆえ、現役で公式戦に出場する、さらに勝とうとか考えるなら、もう私にはそんなに時間は無いだろうと考えます。
オヤジのホシの次なる目標は、「チケットを無しで武道館へ行く」「客席で無くアリーナに立つ」か?とか、夢を見るのは自由なのを良いことに、無謀な事を思い描いています。そしてやめておけば良いのにこの後その方向に進もうとします。

このお話は、私が「オヤジのホシ」になるまでのサクセスストーリ(?)として、取らぬ狸の皮算用的に、まだそうはなっていないし、その目星も立た無いのに、書き始めたのです。だからこの続編の結末は現在わかりません。ウチの道場には他にもたくさんのオヤジとそして大人の女性が沢山いらっしゃいます。周辺の道場にもそんな方が一杯いらっしゃいます。私がオヤジのホシにならなくても良いかとも最近思います。話が進んでいくうちに、別な人が先に「オヤジのホシ」になって、私は傍観者といしてこの話を綴っているかも知れません。そんな形で、傍観者になるのも悪く無いと思います。理想は「オヤジノホシ」ですかね。執筆開始時と、ウチの道場の雰囲気は変わりませんが、状況は変わってきています。
でも私は何一つ諦めるつもりはありません。きっと何処かでオヤジのホシを掴みたい。そして、繰り返しますがそれほど時間は無いはずです。無茶をすると簡単に壊れるので、試行錯誤、ジタバタしながら精進していこうと思うのです。

最後に、ご指導頂きました、師範、先生方、一緒に頑張った道場の皆様、近隣の道場の皆様、空手で不在になりがちなのに、特に文句も無く送り出してくれた家の者に深く感謝致します。


押忍!!

2013年8月25日日曜日

Episode1-(12) Examination.


その夜、当然のように眠れませんでした。幸い、多くの空手イベントと違い、昇段審査は午後からです。今回広報係の私が審査ということで、代わりに広報を買って出てくださったドンと時間を合わせて、電車に乗っていつもの伊勢原体育館へ向かいました。

丁度昼に到着し、受付を済ますと、持参した弁当を、まるで食べる気がしないのに、無理やり流し込みました。

「大人は落ちない」という噂を聞いた事があります。そんな話を過信してはいけませんが、そういう期待はありました。でも、これは都市伝説でした。組手は相手が必要ですし、型もそして移動基本も2人同時に実施します。ですからずっと一緒に受審した大人の方がいらっしゃいました。その方が
「今回二度目なんです」
なんて事を言っておりました。

私の歳だと、普段の稽古を大真面目に一回こなせば、かなり疲れます。その上、審査の前には本部指導員の大先生による、講習会があるのです。例えば足を地面に付けないでひたすら蹴りとか、大変な内容でした。本当に、ボロボロでした。でもこのボロボロが大事なのです。



そして、審査。

審査は、移動基本、組手、形の3項目ですが、 受審者は沢山います。特に初段は多いので、効率優先で順序を調整しますので、どこから始まるかわかりません。私は、最初自由一本組手でした。一番心配な内容が最初に来て、ある意味良かったです。前日の夜の特訓の成果もありましたし、相手の方の癖もあまり無く、驚くくらい難なくこなす事が出来ました。自由一本に今回から変更されたと言っても、やはり組手は勢いとか気迫が大事だと思います。
自由一本の様子。(難なくと言いつつ、体幹ずれているなぁ~)

そして移動基本。順番の都合か、かなり時間が空きました。

個人的には移動基本は一番きついのですが、状況に左右され無い。つまりは、実力がそのまま出る感じなので、やるだけやるしかありません。でも力んでいたのでしょう。審査員の先生に終わった直後呼ばれて、「硬いよ。もっと力を抜いて」と言われました。

手刀受からの貫手


さて、形です。個人的に組手が苦手とはいえ、やはり最大の難関は形です。緊張は大敵です。
緊張して力むと、普段普通に出来る事もできません。
でもこの状況で、緊張するなという方が無理があります。
県大会の話で、試合前に疲れるほどアップをしたらフラフラで、試合どころでは無くなるから、おっさんは無理な運動をしてはいけないと考えていたのですが、これは間違いでした。
前日の通常稽古、そして昇段審査前のやたらにきつい講習会。組手のあとは妙に待ったのに、たまたま、移動基本の後、ほとんど間髪入れずに形の審査になってしまいました。とても辛いのです。普通に前屈立するのもきつい状況です。でも、1つすごい効力がありました。私にとって最大の敵である「緊張」。これが出てしまうと、実力半減以下です。でも、ものすごく疲れた反面、なんだか体がカッカして、頭はボーとして、ほとんど緊張しませんでした。
審査をしてくださった県の支部の先生からは、
「力み過ぎ。今幾つよ?その歳なら、もっと力を抜を抜いて、立ち方をしっかり丁寧にやらなきゃダメだ」
と形の審査の後おおよそそんなニュアンスでダメ出しされました。至極、もっともなご指摘だったのですが、私的にはかなりこれでもかなりリラックスして臨んでいました。まぁ、複数の先生に同じ事を言われるということは、最重要改善項目に決まっています。なにかにつけ、改善すべき点がはっきりしていて、それを改善する機会があるということは、多分、きっと、幸せな事なのだろうと思います。
右拳が伸びすぎに見えるかもしれませんが、「これは「受け」じゃない。裏拳打なんだ。」という信念でをもっての事です。
形の審査が終わった後、程なくして、審査発表でした。その場で結果が出るわけです。車の免許の筆記試験の後のような気分です。





2013年5月10日金曜日

Episode 1-(11) Towards the Retake.-2

その後、少しでも練習量を増やすため、4月から開催された県本部主催の「一般部特別稽古」に参加しました。これは月一で行われる、県大会で上位になり全国大会に出場する子供達の強化稽古の後におこなわれていました。この稽古は、昇段審査対策よりも、普通に空手の理解を深める良い機会になるという感じでしたが、とりあえず昇段に向けて、出来ることはやっておこうという姿勢でした。

昇級審査と話が前後しますが、そのようなわけで、4月22日(日)、雨の中、電車とかなりややこしいバスを乗り継いで、丁度2週間前に県大会が開催された伊勢原の体育館へ向かいました。大きなカバンを背負って、一人で電車に乗って、空手イベントに参加するのは、心細い反面、少し楽しくもあります。
ウチの道場のブログに詳細が書いてありましたが、主に内容は、普段道場ではやらないような、変わった内容ばかりでした。私が若造になるくらいの感じなので、「無理なく」と宣言されていた割には普通にきつい内容でもありました。

それ以降何もイベントが無い日曜日は、主にジョギングをしていました。

そして、5月19日、昇級審査。
前にも言ったかもしれませんが、ウチの道場は、「いつも変わらぬ鍛錬を」と言いつつ、モードがあります。神奈川県大会からこの日までは、「昇級審査モード」でした。そして、昇級審査が終わると、「昇段審査モード」に突入しました。昇段試験までは3週間しかありません。もう少し昇段試験が先と勘違いされていた師範が、「ヤバイじゃないですか。時間が無い。」とおっしゃっておられ、益々緊張感が増しました。

翌週(5月21日(月)、数百年に一度の金環日食が各地で観測された週)から、本格的に昇段審査モードに入りました。昇段審査を受けるのは、道場では私一人でしたが、茶帯以上は、昇段審査向け中心の稽古内容になりました。そして、終了後は一人居残って稽古です。昇段者専用の特別メニューもあります。

5月27日、二度目の伊勢原大人の稽古。
このときも、神奈川県内の偉い先生のご指導。色々なパターンの稽古がありました。
最初に肩慣らしに形をやったのですが、一緒に参加されていたウチの師範が、担当講師の先生に、「彼が来月昇段審査を受けます」と言って下さり、肩慣らしの形は慈恩になりました。恐れ多い感じです。
最後の整理運動で、猿臂(肘打ち,エルボ)のみの組手をやりました。スポーツクラブの格闘系エアロで出てくるムエタイ技で鍛えた(?)エルボを夢中で繰り出しました。楽しかったけど恐ろしく疲れました。

話は少しそれますが、空手再開から1年と2ヶ月。早くも道衣がくたびれてきました。所属団体の名称も変わりましたし、この少し前に道衣を新調しました。そして、この日の伊勢原の稽古で初めて着ました。尚武というメーカ製です。とても汗を掻くので、毎度道衣の下を脱ぐとき、紐が濡れて脱ぎにくいという事もあり、下の腰紐が袴のようになっているのという点が選定理由ですが、太すぎず、細すぎず、かなり気に入ってします。
伊勢原での稽古のあと、新調した道衣を自分撮り

そしてこの頃から、腹痛に襲われ始めました。昔からそうです。受験の前とか、それこそ子供の頃の空手の審査の前もそうだったかもしれませんし、近年では、お客様とのややこしい会議の前とか、とにかく緊張すると、腹が壊れます。全然肝が座っていないのです。

ウチの道場には、たまに近隣の道場から出稽古の方がいらっしゃいます。
その中でも、若い女性ですが、私も尊敬して止まないくらいの方がいらっしゃいます。全国大会にも毎度出場しています。その人が、審査の3日前の稽古にいらっしゃって、私の形を見て下さいました。そして、とても褒めてくれました。
「昇段審査モード」に突入してからは、「慣れているはずの慈恩で、こんなにもダメ出しが入るものか?」というくらい、師範に徹底的に直されていましたので、やっと少しは形になり始めて来たのかも知れません。
このときを堺に腹痛がピタリと止まりました。現金というか本当にメデタイ奴です。

そして審査前夜。土曜日。ウチの道場は通常稽古です。相変わらず昇段審査モードで、一部の方には、お付き合いいただいておりました。
今回から、組手の審査が自由組手では無く、自由一本組手に変更になっています。同じ道場のとある大人の方とその自由一本組手の稽古をしていたときのことです。その方の突き方には少し特徴があって、ここに来るだろうという位置から、さらに伸びます。当然受ける側は詰まって受ける事になってしまいます。反撃も詰まります。こういう場合は、しっかり受ける事が出来る位置まで下がらなくてはなりません。攻撃側に責任はありません。受ける側の問題なのです。大人には優しい師範に、珍しくいつもより強目にダメ出しされました。その場で数回、繰り返して受けの練習をしました。前夜です。十数時間後には、本番です。これは焦りました。組手が原因で審査に落ちた10代の頃が頭をよぎります。

2013年3月23日土曜日

Episode 1-(10) Towards the Retake.-1

以前にも書いたと思いますが、ウチの道場はいつも変わらぬ鍛錬ををモットーに、稽古をしますが、現実的には、直近のイベントに向けての稽古が中心になります。
地区予選(県大会)が終わったら、今度は5月の昇級審査に向けて、動き出します。

私は、その審査は受けないので、試合も終わったし、少し体を休めたいところですが、6月の昇段審査があるので、それに向けて、また頑張らねばなりません。

2012年5月19日昇級審査の様子

昇段審査。つまり黒帯になるかどうかの審査です。
高校生の頃、空手を辞める直前は、黒帯を絞めていました。
だから「奪還」という気持ちもありました。
でも、その高校生のときの黒帯は公式なものではありませんでした。当時の団体及び所属道場のルールでは、黒帯は道場で「仮に」取得をして、そのあとで、都の公認審査らしきものを受けなくてはならなかったのです。(当時は都民だったのです。)その審査に二度落ちています。しかも、形は合格点で組手で落ちているという結果でした。もはやその審査の様子は思い出せませんが、その結果だけは、今でも頭に残っています。実質、茶帯に近いので「奪還」は言い過ぎなのですが、どうも頭のなかには「奪還」という文字がこびりついていました。

道場は昇級審査モードでしたが、昇段審査の形を決めなくてはなりません。
師範はいつもは、「何にしますか?」と希望を聞いて下さいますが、この時ばかりは違っていました。一応聞きはしましたが、一応です。完全に指定されていました。ニュアンスとしては
「形はどうします?観空大はダメです。慈恩にしましょう。今回は獲りに行きますから。」
と言われました。言葉の意味も十分理解出来ました。「獲りに行く」ときと、だたの「挑戦」では、違うのです。実は、地区予選の延長で、そのまま本当に観空大で行こうと思っていたのです。笑ってしまいました。

慈恩。
以前の話でも書きましたが、比較的私の中では習熟度がマシな型です。
その理由は、「一番やり込んでいるから」です。高校生の頃の二度の審査失敗も、慈恩で受けていました。どうも縁があります。(いや茶帯のレベルでは一番ポピュラーなので、不思議では無いのですが。)
だから、飽きてしまっているのか、低姿勢が多いのがきついのか、自分の中で「魅せる」と思える部分が少ないからか、実はそんなに好きでは無いのです。

そして、これも以前の話に書きましたが、それでいて、習熟度が高いかといえばそんなわけでは無く、他の形を演ずるより「マシ」なレベルです。「きつい」とか、「魅せ場が無い」とか抜かしている場合でも無いのです。それから完成に少しでも近づけるために、必死こいて練習しました。

2013年1月21日月曜日

Episode1-(9) Ignorance is bless.-Final-.

そして、4月8日、伊勢原体育館にて、県大会を迎えました。

午前中は形、午後は組手。

午前中の形はGARI君が2回戦進出した以外は、初戦敗退。
団体型も最下位。

昼食後、この結果を踏まえて、かなり強めのアップ。
前日までのハードの稽古の疲れもあり、本当に疲れてしまいました。もう試合当日は一切練習なんかしないと思いましたが、この「アップ」には、体を温め、ほぐす意味以外にもう一つ大事な意味があることを、この2ヶ月後に知ることになります。

そして、午後の組手。
まずは団体戦。某大学。略すと「某大」を相手に、先鋒GARI君、次鋒NAOさん、主将私で臨みましたが、ストレート負け。
後で写真を見ると、私の顔面を上段突が直撃していました。ほとんど痛く無かったので、やはり上手いと思いました。

そして個人戦。
GARI君は二回戦まで進みました。一回戦目は勝ちましたが、鼻を殴られて流血していました。
NAOさんは確か不戦勝で二回戦に進みましたが、目を殴らえてしばらく中断していました。
秋の「オヤジの大会」のときもそうでしたが、大人の大会はおっかないと、ただただビビりまくっていました。

そして私の個人組手。一回戦敗退。
とにかく長い試合でした。いつもだったら、とっととやられてしまって終わるのですが。
お互い一本をなかなか取れず、あまりの長さに、こともあろうか組手の試合の最中に「帰りたい」と思ってしまい、自分でも可笑しくなりました。
技ありを1つ取られ、さらに「無防備」という反則を取れらました。こんな滅多見る事の無い珍しい反則自分でやってしまうとは驚きました。相手の猛攻につい背中を向けてしまったのです。主審の先生が吹き出しながら反則を言い渡していました。恥ずかしい。
そして時間切れ、判定負けでした。

こうして全試合が終わった後、審判をしていて、ちょうどそれが終わった師範のところに報告に行きました。

「いや、出ただけでも大したもんですよ。普通(そのレベルで?その歳で?両方?)出ないですよ。」

と言われて、目が点になりました。このタイミングで、やっとそれをおっしゃるとは、ウチの師範は本当に面白い人だと思いました。

まぁこう言われて、この試合は全国大会につながる、いわば「公式戦」であることを、強く認識しました。
そして、当たり前のように「来年も出よう」とか企てている自分がそこにいました。
さらに帰りの車の中で、感想や反省や来年に向けての対策を話し合っている、とても楽しそうな三人がいました。

2012年10月10日水曜日

Episode1-(8) Ignorance is bless.-3

地区予選(県大会)の前の月の3月。厳しい稽古は続きました。
全ては大会で勝つために....とまでは思っていませんでしたが、善処しようと頑張りました。
厳しいと言っても、それはオヤジ目線であって、1000本突きとかスクワット蹴り100本とか、そういう事をしていたわけではありません。休まずに、そして、春合宿もそうでしたが、本来稽古の無い日にも稽古に打ち込みました。稽古の頻度が上がるだけでも、オヤジにはきついのです。

ところで、県大会には団体戦があります。3人一組で参加します。以前にも言いましたが、大会に出場する大人総勢3名、GARI君とNAOさんと私で組手と形両方出場することになっていました。

組手は先鋒、次鋒、主将の順で組手をするので、とにかく個々人が頑張れば良いのですが、形はそうはいきません。3人の息がピッタリ合っていないとなりません。仕事の都合などもあり、なかなか3人揃うことは無かったので、たまに揃うと、必死こいて合わせる練習をしました。
先生が選んでくださったのは「十手」という形だったのですが、これが、特に楽なわけでも簡単なわけでもありませんでした。唯一良い所は、「とにかく短い」ということです。3人揃うことがあまり無かったので、揃えやすいようになるべく短い形にしようという配慮だと思います。時間、時期、メンバなどなどを考慮すれば、ベストチョイスだったとも思います。
(確かに、茶帯もいて、こういう時によく使う形は2種類あると思います。ただ、どちらも、みんな見慣れているし、粗が目立つところはあると思います。まぁ余計な話です。)

毎月第四土曜日は、いつもの場所が都合により使えないため、公式には「休み」ということになっていますが、祝日が重なるでも無い限りは、休んだ事はありません。大概どこかを借りて稽古します。3月の第四土曜日は、初めて区の「市民館」というところに行きました。まだ新しく綺麗な上、大きな鏡があり、何しろ空調があるというすばらしい会場です。手すりまであるので、モダンバレエ....じゃなくて初心者が廻し蹴りの練習をすることにも適しています。
ここで、3時間、前半は通常の稽古で、後半は試合のリハーサルをしました。
形の個人戦は例によって、トーナメント方式で、2人ずつ戦い、勝ち抜けていきます。
本番のように、2人ずつ、その場でランダムに告げられた型を演じました。

それから2週間後、ついに地区予選となります。私にとって初めての公式戦。そして我らが道場が1月に支部として独立してから初めての試合です。

2012年9月5日水曜日

Episode1-(7) Ignorance is bless.-2

春合宿は、2日間に渡って行われましたが、通える範囲だったので、通いました。
初日、型の稽古が終わると、師範は普段の稽古のため道場へ。私は諸用により、一度帰宅したのですが、一時間程度遅れて合流。既に膝が笑っていました。

翌日は組手の稽古。もうひと踏ん張り会場へ。
中学生以上は一緒だったのですが、中学生といえどもなかなか激しかったりします。 打ち込みの練習でもその迫力に圧倒されました。


稽古終了後、審査員の試験があり、有段者の皆さんは試験のための組手をしていました。
試験のための組手といっても、やっている本人達は大マジです。ウチの道場のGARI君は大人の方とあたって、上段に廻蹴を入れられていました。このままで済ますかと、二巡目は裏拳打を入れていました。
試験を受けている先生が、「抜けている」と誤判定していたので、いかに速かったかがわかります。

そしてその後、有志による組手。私は結局GARI君にあたってしまい、普段と変わらない感じになってしまいましたので、二巡目は、GARI君に手振りで隣にいた中学生(高校生?)と順番を変わってもらうようお願いしました。私の隣にいた中学生はGARI君と当たる事になってしまったわけですが、あからさまに嫌な顔をしていました。
GARI君は20代前半で、組手になると迫力があり過ぎて怖いのです。私としては怖い人は実際沢山いると思いますし、しょっちゅう稽古をつけてもらっているので、GARI君自体に慣れていますが、いきなり組手をやったら、やはり怖いだろうとも思います。

私の方の結果といえば、ノーカウントでした。
審判をしてくださった先生に、「腰が引けてる」と注意されました。
これは大きな欠点であり、ここで重く受け止めるべきでしたが、この件を軽く見たために、それから5ヶ月後に痛い目に遭うことになります。

夕方、帰宅。あまり私は昼寝とかしないのですが、まだ日が出ているのに、布団に入って寝ました。


それから2週間後、ウチの道場のメンバ数人で、県央にある、とある道場に出稽古に行きました。
春合宿でGARI君や私と組手をした中学生(高校生?)がいました。どうやらそこの道場の所属だった模様です。GARI君と目が合った時に複雑な顔をしていました。
その道場での稽古の後半に、組手の練習をしました。その中学生だったか、別な若者だったか忘れましたが、GARI君にあたって、前に出ると怖いし、下がるとその道場の先生に、「下がるな」と怒鳴られるしで、散々な感じでした。やっぱコレは空手であって、スポーツじゃ無いんだよなぁ~と感じてしまいます。

そんな感じで、「試合モード」で、きつかった3月が過ぎ去って行きました。

2012年8月13日月曜日

Episode1-(6) Ignorance is bless.-1

なんとなく、試合の直前は緊張のあまり、「もう試合なんか出るもんか」と思うのですが、試合の後は、「今度こそは....」と思ったりして、同じ道場の20代前半の青年であるGARI君に「地区予選」に出ましょうと言われ、それがどんな試合かよくわかっていないまま、快諾しました。師範に話すと、これまた特にコメントが無く、「そうですか。出ますか?」と言われただけでした。

ただ、その大会のレベルが低くない事は肌で感じていたので、「形だけ出ます」と言ったら、「ウチは認めません。組手とセットです。」と言われました。渋々組手も出場することになりました。
さらに、前の親善大会の組手で、優勝していたNAOさんも入れて、3人で団体戦に出ることにもなりました。

「おやじの大会」(正式名称は違います)もそうですが、予選を勝つ見込みが無くても、決勝用の形の練習はバッチリするのが、ウチの道場です。決勝で使う形を選ばなくてはなりません。私は「慈恩」は親善大会でもやったし、ちょうどこのころ、教本やYouTubeの動画を見て、「観空大」の順番を思い出していたので、恐る恐る師範に申告すると、「オヤジがやる形じゃない」と言われました。確かに、挙動数は多いし、動きは大きく速いし、とてもきついのは確かです。ただ、「オヤジには無理」という単語に強く反応してしまうところがあり、そのまま通してしまいました。こうして、4月の地区予選まで、多分使わないであろう形の稽古を必死こいておこなう事になります。

こうして、今度は「地区予選対策モード」になったわけですが、年が明けて2012年。「倶楽部昭和」の忘年会などのイベントを無視すれば、まずは、地区予選と同じくらい大事なイベントがありました。昇級審査です。ここで1級をとらないとなりません。流石に「観空大」は未完成だったので、「慈恩」で受審し、なんとか昇級しました。これで段審査を受ける権利を得た事になります。

昇段試験よりは、地区予選が先にあるので、地区予選対策モードに再度戻ります。

2月それほど寒さが厳しく無かった寒稽古を経て、

3月には、強化合宿に参加。
オヤジにはきつい稽古が続きました。

2012年7月27日金曜日

Episode1-(5) Level 25 years ago.

完全に個人的な見解ですが、私が25年前の自分を追い越したのは、この頃だったと思います。入門から半年以上経っています。つまりは、「ブランクを取り戻すのに頑張って半年掛かった」ということになります。本当に甘くは無いと思いました。

結局私は、目的が無いと動きが悪くなるので、「試合」や「審査」が一つの節目となります。
オヤジの大会(正式名称は違います)の後は、11月の神奈川の親善大会が次の節目となりました。

型については、このまま「抜塞大」で行こうかと思っていました。
ある稽古の夜、抜塞大と慈恩という型をそれぞれ先生に見て頂きました。
「慈恩」の方が良いと言われました。
「慈恩」という型は、子供の頃、一番やった型だと記憶しています。驚きでした。

そのように言うと、まるで私の「慈恩」が洗練されて、完成度の高いものだったように聞こえるかも知れませんが、とんでもない話です。「慈恩」の方がマシだったというのが正解で、かなり色々ご指導を頂き、修練を積み、それからさらに半年後にある程度マシな仕上がりになりました。本当に甘くはありません。

そのようなわけで、この試合に出場したときは、まだ、未完成も甚だしい状態でした。
でも、初心者向けの大会です。やはり優勝するぐらいのつもりではいました。

結果は2位。これだけ聞けば凄そうですが、私が出場した、40歳以上の部は、出場人数が4人でした。下から数えたら3位です。まぁこれはこんな感じだと思います。
言い訳がましい事をいえば、緊張のあまり、ギクシャクしてしまったのですが、それは相手だって同じ条件です。本番でギクシャクするのは鍛錬が足りないのです。

問題は組手です。
あまり口外はしていませんでしたが、でも見れば分かるという話もありますが、元々組手は苦手でした。それが急に治るものではありません。
前回のオヤジの大会の頃から組手については考えていました。試合のためにでは無く、下手であることを強く認識した上で、少しずつでも鍛錬を積んでいかなくてはと思ったのです。

結果は緑帯、紫帯もいる中4位。組手の出場者も同一メンバでしたので、つまりは最下位ということです。とっても「不甲斐ない」結果です。
でも、自分が下手であるという認識があるので、実は、初戦で当たった紫帯の方に、技ありを1つだけ取れた事を、心密かに喜んでいました。(技あり2つで、1本。つまり勝利になります。)しかも、主審が技ありを取ってくれたのに、副審が無効と判定をし、結果無効になった事が2回ありました。とてもおしかったのです。
やっと出合い(相手が突こうとした一瞬に、それより先に突く)らしき事ができるようになったという状況になにやら手応えを感じていたのです。

ちなみにですが、この試合は、一緒に出場した大人のNAOさんが一般有級者の部の組手で優勝するなど、川崎の道場の分道場として、6人で参加して4人が受賞するという結果に終わりました。
歴史が浅い道場なので、初心者の層が厚いのです。だからまだ大会で勝つことも無いですが、初心者向けの大会で、しっかり結果を出すところに、ウチの道場の輝かしい未来を垣間見た気がしました。

2012年7月24日火曜日

Episode1-(4) Oyaji tournament.

9月初めの大会に惨敗した日、帰宅途中昼間から酒を飲んだりしたというどうしようも無い話はしましたが、実は帰宅後、すぐに準備して、スポーツクラブに行きました。例の格闘エアロです。まるでそこに何か亡霊でもいるかのように、全力で拳を振るい、蹴りました。

その翌火曜日、稽古。それこそ、何かをぶっ壊すように、出せるすべての力を出して型の練習をしました。ただ、多分に、自分からは見えないけど、気迫ばかりで、力が入り過ぎていて、とても見れたものでは無かったと思います。

そしてその翌日曜日、惨敗した大会から丁度一週間後、出場年齢40歳から(女子は35歳から)という、まさにオヤジの大会に出場しました。この大会は関東中が一堂に会すのですが、この年の開催はたまたま神奈川でした。早起きして、会場の平塚に向かいました。

会場入してびっくり。色帯というか、黒帯では無い人を探すのが大変な状態でした。
とんでも無いところに来てしまったに違いないと思いました。

型と組手、40歳~44歳に出場しました。どちらも無謀だと思いました。
「○○先生頑張って~」と応援の子供たちの声。どちらかの師範や指導員さんも参戦されている模様です。

逆に肩の力が抜けました。
勝てるわけが無い試合に、何としても勝たなければならないわけでは無い状況ですから。

型の試合。
予選は、やはり2人で同時に演じて、主審と4人の副審が優劣を判定します。
そして、ランダムに型が指定されますが、この大会では平安四段と鉄騎初段のどちらかでした。
良く考えてあると思います。どちらも、難しいというか、習熟度がはっきり出やすいと私は考えます。

相手はやっぱり黒帯の方。鉄騎初段が指定されました。
肩の力が抜けて臨んでも、試合は不慣れ。緊張しないわけがありません。かなり緊張していたと思うし、力も入りすぎていたに違いありません。ただ、少なくとも一週間前の事は忘れていたと思います。
そして、胸を借りる立場にある場合の基本としては、全力で挑む事です。気合も大声で出しました。

想定通り負けたましが、副審の一人の先生が、引き分けの判定をしていらっしゃいました。もう私としては、これで十分です。
ウチの師範もやはりその点について、ニコニコしながら、触れられていました。
「格下(茶帯)だけど気合が入っていたからですかね?」
私もそんなところだろうと思いました。

というわけで、決勝トーナメント用に用意しておいた、「抜塞大」は使うことがありませんでした。

午後は組手です。
周囲を見てビビりました。怖そうな人ばかり。流血している人もいらっしゃいました。怖い。
よくよく考えたら、大人になって、初めての組手です。大体25年ぶりです。腰痛が悪化していて、この頃がピークでした。もともと組手は苦手でした。何一つ前向きな要素がありません。かなりビビリながら、コートに立ちました。
ただ、組手は、不思議なもので、始める前の緊張はかなりのものなのですが、始まってしまうとなんとなく勢いで行ってしまいます。気がついたら、ストレート負けしていました。必死過ぎて経過を覚えていませんでした。
終わった後、深々と礼をする相手の方に、なんだか妙に「武人」を感じました。
相手をしていただいてありがたくて、しっかり礼をするべきは、こちらです。

あとで、師範の奥さんが撮影してくださったビデオを見ました。
ろくな突きも出せない分際で、回蹴りを繰り出したり、なんだか必死にやっている様に、自分で笑ってしまいました。案外簡単に負けていた事も良くわかりました。

(その動画の一部を切り出した写真です。こちらを向いてるのが私。相手は埼玉の方でした。)

組手で負けた後、隣のコートを見たら、ウチの師範が組手をしていました。勝っていました。
近くで見たかったのですが、負けたとはいえ、第一回戦が終わらないと、その場を去ることはできません。いや、正確には去りにくいという感じです。第一回戦終了と同時に、防具も拳サポータも付けたまま、隣のコートに走りました。

準優勝していました。ウチの師範はあまり自分の事を語らないので、どんなレベルの方かも知らなかったので、びっくりしました。

その他、神奈川の団体戦が見事でした。組手も確か上位に入っていたし、型では「なでしこ神奈川」という女性ばかりのチームで、抜塞大で優勝していました。ウチの先生の奥さんも出場していましたが、これはすごい。人数に上限が無いのですが、16人で演じていました。ぶつからないだけでもすごいと思いました。

益々、空手が面白くなってしまった大会でした。

2012年7月6日金曜日

Episode1-(3) Beyond the summer.

4月始めに正式入会すると、毎週土曜日に、ほぼ欠かさず稽古に参加しました。

とにかく、楽しくてしょうがなかった。はりきって稽古しました。

あるとき、稽古が終わったあと、師範に基本的な型を頭から全部流すように教え頂いた事がありました。具体的には平安初段から五段までを、丁寧にゆっくりと教えて頂いたのです。
ところどころ、初めて見るような気がしました。

その時だけで無く、たまに、自分が覚えているのと違うと思うことが多々ありました。
それは、団体の違いによるものと、20数年の間に変わってしまったものと、その長い年月の間に私の頭の中で勝手に変更されてしまったものなどの理由が考えられますが、多分そのすべてが入り交じっているのだと思います。矯正は案外大変でした。
逆に、完全に忘れ去ってしまったのに、体が覚えていたというパターンもあります。
程度は型によって違いますが、鉄騎初段という型は、知らないと思っていたのに、なぜか出来たのです。完全に頭だけが忘れていたのでしょう。

あるとき、9月に2つの大会があるので、出るかと聞かれて、二つ返事で出ることにしました。
ただ、9月には審査も受ける事になっていて、とても練習が足りないような気がしました。
平日は、仕事の都合でどうしても時間に行けないのですが、40分から1時間程度遅刻してなら行く事ができます。
7月から週3回全て行く事にしました。さすがに暑いし、楽しくてしょうがないというほどでは無く、かなりきつく感じました。

こうして、タオル1本、500mlのペットボトル1本ではとても足りない、妙に暑い夏も過ぎ、お盆休みに腰痛が発症して歩くのも辛いという困った状況を抱えつつ、残暑激しい9月の頭、20数年ぶりの審査を受けました。当時、他団体からの移籍制度がありました。特に級の審査を受けなくても、一年間修行を積んで、段審査を受け、合格すれば、初段認定されるというものです(※)。その制度を完全には使わず、師範のお勧めもあり、昇段審査までに、昇給審査を受けることになりました。これは、後で思うに、正解だったと思います。武道とはそんな甘いものではありません。そんなに器用では無いので、20数年のブランクは簡単には埋まらないのです。
移動基本と、かなり不慣れな自由一本組手、型はこのときと、続く大会のためにがんばって練習した抜塞大。

審査をしていただいた先生の一人からは、「正確さが足りない」とご指摘を受けました。抜塞大は簡単そうに見ええて、細かい挙動が難しいという事を、その後段々覚えて行くことになります。

(※移籍制度はその後、確か2度ほど内容が変わり、現在では無くなっている模様です。)

2012年7月1日日曜日

Episode1-(2) Introduction.

つい昨日の事ですが、道場に見学の方がいらっしゃいました。経験者の方で、お子様2人と一緒に、体験入会でした。道場のWEBからのお問合せは、私のところに届きます。いつもは師範に転送しているのですが、最近師範は平日とても忙しそうなので、今回は私が対応しました。
当日は道衣持参でいらっしゃるよう勧めました。経験の期間から考えて、黒帯だろうとは予想はしていましたが、くたびれた黒帯を締めていました。つまりかなりの熟練者と推測されるわけです。
でも、かなりのブランクがあるとの事。私が体験入会で初めてウチの道場に行った日も事を思い出しました。

去年の3月....
とりあえず、メールには、状況を書きました。
小学校6年生から高校3年まで松濤館流の道場で稽古をしていた事。
当時の道場では、所属する道場で初段を仮に取り、公認の初段を取得する事。
道場では初段を取ったが、公認の初段には落ちていた事。

そして、返事が来ました。早速見学に行く事にしました。2011年の3月5日。当日は審査があるとの事で、楽しみにしていましたが、家庭の都合で行く事が出来ませんでした。
気を取り直して、一週間後の12日に行く事にしましたが、その前日の2011年3月11日は、日本国民であるからには、忘れることの出来ない事態が起こりました。当然稽古はありませんでした。完全に出鼻をくじかれましたが、こちらも当然それどころではありません。稽古の心配より米の残りが少なくて入手困難である事を心配していました。

安全の確認が出来ていないと言うことで、いつも利用している中学校の武道場がしばらく使えないとの事。その一週間後には、それ以外の場所で、稽古が再開されました。

スポーツウェアで行くと、師範に「道衣じゃ無いのですか?」と聞かれました。ウチの道場は、道衣があるなら、トライアルでも、道衣で参加するものだとここで私は認識しました。

当日は、準備体操をして、その場基本をして、移動基本をして、型、組手という順だったと思います。
嬉しくて、型などは、平安初段以外ほとんど覚えていないにも関わらず、全部参加してしまいました。楽しくてしょうがありませんでした。
結果、それから、2、3日、強度の筋肉痛で歩くのもままならない状況に陥ることになりましたが。

その次の稽古あたりで、入会することにしたのだと思います。元より入会するつもりではいました。
一度は黒帯になったとはいえ、25年のブランクがありました。普通考えれば、白帯からやり直しでもおかしくない。でも、師範は一歩戻って茶帯から始める事をご提案してくださいました。やり直す手間が嫌だった私は、喜んでそれを受けました。ただ、帯の色には意味があります。手間を省けた反面、帯に見合った実力が必要なのです。給料の前借りをした気分です。そこから、私のブランクを取り戻すための駆け足の稽古が始まりました。もういい歳です。きついに決まっています。でも、結局私はせっかちなのです。


ちなみに、私が高校生の頃使っていた道衣と、黒帯は実家にあるはずでした。後日帰郷し、徹底捜索をしましたが、見つかりませんでした。両親は引越しのタイミングか何かに捨てたかもと言われました。まぁ帯はともかく、道衣はもうものすごく黄ばんで使い物にならなかったことでしょう。

そういうわけで、道衣は新調しました。
届いたとき、嬉しくて、自宅で撮影しました。
高校生の前半だったか、ひと通り成長が止まった頃、少し小さくなった薄い道衣を着ていました。、当時の師範に勧められて買った綿の分厚い道衣を思い出して、似たような道衣を買いました。綿はとても縮むので、現在の師範の勧めもあり、かなり大きめにしました。茶帯は借りる事にしましたが、在庫が無かったようで、新品を支給して頂きました。

2012年6月23日土曜日

Episode1-(1) Background to the Introduction.

うちの近所にスポーツクラブが出来ました。2009年の5月だったと思う。
それ迄の私はスポーツクラブなんて金持ちのお遊びだぐらい思っていました。
その夏、既に入会していた家の者に付き合って、体験入会に行ってみました。汗を掻いたあとに入ったジャグジ(泡風呂)の気持ち良さにつられて、ついつい入会してしまいました。

ちなみに「金持ちのお遊び」なんていうのは偏見で、近頃はリーズナブルのところも多いようです。駅から離れたところに、本来は景観の良い最上階に置くプールを下の階にして、建物の強度を出すためのコストを減らし、会費を抑えて、地域密着型でフレンドリな雰囲気を出すような感じのビジネスモデルが最近増えているとビジネス誌に書いてありましたが、まさにそれに一致するスポーツクラブでした。

最初は、ジムで走ったり、筋トレをしたりでしたが、そのうち、スタジオに入るようになりました。スタジオではヨガやエアロビクス、ダンスなどなど、色々なプログラムがあるのですが、特に気に入っていたのは、格闘技を使ったエアロビクス(※)でした。ボクシングにムエタイ、カポエラ、空手、マーシャルアーツなどなど、節操無く色々な格闘技の技を、音楽に合わせて繰り出します。そのときのインストラクタが、カリスマな感じのとても人気のある人で、私自身も楽しく参加していました。「音楽に合わせて」なんて言うと、楽しそうなイメージですし、45分間ちゃんとやると、半端無くきつい。最初は最後まで息が続かなくて、最後の方は力が入らなかったのですが、次第に慣れていきました。しかも適当にやるのが嫌いだったので、全力でやっているうちに、次第に動きも鋭くなっていきました。

※ちなみに、その「格闘エアロ」はレスミルズという団体が主催する、スポーツクラブ限定のプログラムで、インストラクタもスポーツクラブ所属で無いとなれないというもので、この格闘技系プログラムの正式名称は「ボディコンバット」という。その他いくつかのプログラムがある。

余談ですが、その「格闘エアロ」に出てくるムエタイの連続エルボ(エルボ=肘打ち。空手用語では「猿臂」)を、この一連の話しの中で使う日が来ます。その件はそのときのお話で。

その翌年の3月だったと思いますが、そのカリスマ・インストラクタが転勤になり、その格闘エアロの時間が一時激減しました。その後、インストラクタが育ってきたのか序々に増えていきましたが、時間が合わなかったりして、あまり参加出来なくなりました。
さらに、ボクシング、ムエタイ、カポエラはよくわからないが、「空手はこんなんじゃ無い」と思いました。私は子供の頃空手をやっていたのです。何が違うのか、大きな違いは、引き手です。引き手無しに受けるのです。それはどうでも良いのですが。なんだか無性に空手がやりたくなりましたが、とりあえずその頃は、昔同時に陸上部所属でもあった事を思い出して、なぜかマラソン大会に出たりとかしていました。

(練習半年、10km、36-49歳の部で596人中54位、総合順位143位。
我ながら良くやったという感じです。ゴールは当然「グリコ」のポーズです。足は上げていませんが。)

スポーツクラブにも、有料の空手教室がありました。近所の道場が出張してきているようです。ただ、それは所謂「極真」です。極真についての知識はその段階では、「フルコンタクトと寸止めの違い」ぐらいにしか考えていなかったのですが、なんとなく気が進まみませんでした。極真が嫌なのでは無く、せっかちなので、今更新たな流派に入って、一から覚えるのは億劫に思えました。そう考えると、同じ「日本空手」でも流派が一緒な方が良いと思いました。
そして、翌年2011年2月。多分気まぐれだったと思いますが、「空手中原区松濤館」のようにインターネットで検索した。一箇所バッチリな道場が引っかかりました。子供の頃稽古していた道場の流派である「松濤館流」という記述は見つからなかったのですが、ところどころの写真を見れば、立ち方で分かります。そこから数日迷って、あるとき意を決して、道場の師範にメール送ったのです。


2012年6月17日日曜日

Episode1-(0) Prologue.

2011年9月4日。私は、現在の道場に入門して初めての試合に臨みました。
その試合は、初心者が参加する試合で、一切口にはしませんでしたが、優勝するつもりでいました。大人は型だけで組手がありませんでした。型は得意なつもりでいました。

私が所属する道場の参加人数も少く、妙に大人が沢山いる道場なのだですが、その日は大人は私ともう一人SHIOさんだけで、あとは子供が4人。参加人数が多い道場は、大きな声援が飛んびました。見事なまでに「アウェイ」感がありました。そのせいというわけでは無いのですが、子供たちはことごとく、初戦か二回戦で敗退してしまいました。
そして大人の試合。
20数年ぶりの試合。かなり緊張していたし、試合といえばいつだって、緊張しているのですが、同じ道場の女の子に、「あとは私に任せておきなさい。」とか吹いていました。勝つ気満々。勝とうとしているから尚更緊張します。
これで本当に優勝していれば、ちょっと「カッコイイオジサン」になれるところでした。

型の試合は、予選は2人ずつ対戦し、優劣を競います。その場で演武する型を伝えられます。
私の相手は黄色帯(8、7級)。かなり若そうな人だった。主審は「平安二段」を告げました。
気合全開で、平安二段。そして、判定。当然勝ったと思っていました。

判定のとき、結果よりも先に歓声を感じました。引き分け。黄帯と茶帯が引き分けたから歓声が上がっていたのです。
引き分けの場合は、再度演じることになります。「平安初段」と告げられました。平安二段を全身全霊で演じたので、もはや余力は残していませんでした。歳は取りたく無いですが、結局は修行が足りないのでです。当然動揺もしていた事でしょう。
そして平安初段終了後、判定は、確か3対1だったか4対0だったかもはや見ていませんでした。ものすごい歓声が上がりました。副審の旗を見るまでも無い。負けを悟りました。

ただ、ここで言っておきたいのは、決して続けて疲れていたから負けたのではありません。相手が上手だったのです。私は常々、平安初段は一番難しいと思っています。もっと言えば協会の審査では出てきませんが、もっと初歩的な「太極初段」はもっと難しいかも知れません。平安初段をしっかりできるという事はしっかり鍛錬しているということです。私は鍛錬が足りない。途方も無いブランクを埋めるには、まだ至っていなかったのでしょう。

ただ、それは今になって言える事で、当日はただただショックでした。
午後は組手の試合で、大人の出場は無かったし、ウチの道場からは子供も含め誰もエントリしていませんでしたが、道場の子供達は見学のため残っていました。私は逃げるように、会場をあとにしました。
会場を出ると、突然の通り雨。
「頼むから早く帰してくれ」と言いながら、会場となっている小学校の、会場とは別な建物のひさしの下に立ち尽くしました。
雨が少し弱まったので、折りたたみ傘を広げて、歩き始めました。
途中、昼食を買いに行ったウチの道場の先生と子供たちに道路を挟んで出くわしました。とても気まずい。

精一杯の笑顔で、
「山に籠ってきます」
とか意味不明の事を言って、手を振りました。

それからバスで、横浜へ。横浜に着くとまるで何事も無かったように晴れていました。
横須賀線のホームの下にあるKIOSKで、酒を買って、ホームで飲みました。確かリザーブウォータだったと記憶します。「かっこいいオジサン」になるはずの人は、タダの「ダメな人」になっていましたた。

今思えばここが一つの転機だったのかも知れません。